Little Joe Washington
Little Joe Washingtonこと Marion Washingtonは、1939年の 3月 1日、Texas州 Houstonの第三区、University of Houstonから Old Spanish Trailにいたるあたりで生まれ育ちました。
当時は鉄道の線路に面した二階建ての住宅で、一階では床屋と小さなカフェをしていたようですが、そこではヴァイオリンとサックスをたしなんでいた叔父さんによって時折りジャム・セッションが行われていたそうです。
そんな中で Marionは僅か 5才ですでに、部屋の隅にあるアップライト・ピアノでそれに「参加」していたそうですよん。9才ではトランペットを吹き始め、15才の時には Albert Collinsのバックでドラムを叩いていたんだって!

やがて彼の興味はギターへと移り、当時地元では傑出していた Joe Hughesってプレイヤーが特にお気に入りだったらしく、その手クセからトーンまで、ことごとく真似ていたそうで、そこから Little Joe( Little Joe Hughesってこと)の名がついたもののようです。

やがて彼は Roscoe Gordon、さらに Cecil Harveyのツアーに同行して Texasから Nevadaあたりまでを回ることで腕を上げて行ったようですが、20才になった時には El Pasoに腰を落ちつけ、そこから国境を越えた Mexicoの Juarezの the Lobby Barまで出向いて演奏をするようになりました。
そこで彼は The Champsというグループに出会い、一緒に Calforniaに行き、Donnaというレーベルに録音をしています( 1961年Hard Way Four The Last Tear )。
続いて 1963年には Los Angelesで FederalにSomeone Loves Me I Feel All Right Bossa Nova and Grits を録音しました。

さらに彼は引き続き Houstonから国境を越えた Juarezまでのエリアで様々なグループでプレイしていたようなのですが、やがて依存症を伴う悪弊に染まってもいったようで、いつしか路上生活者のような暮しや、楽器も質で流してしまうような状態へと転落していったようです。
1990年代の半ばには彼はもはやリッパな(?)ホームレスとなっており、以前に叔父さんがそこで時折ジャム・セッションを開いたあの床屋だった廃屋に住み付いていたらしいのですが、過失からか、そこが全焼してしまった後は廃棄されたクルマの中で寝泊りしていました。

それでも、彼は決して音楽を捨てたワケではなく、この頃のことを回想して、鳥のさえずり、犬の吠える声、吹きすさぶ木枯らしのブキミな唸りなどが楽想をもたらしてくれた、と言っていたようです。
彼のユニークな外観(?)はこの時期に培われたものなのでしょうね。
そんな彼も次第にその存在を認められるようになり、みなさまもご存知のように日本などの海外にまで演奏活動に出かけるようになりました。
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by blues-data | 2005-09-14 09:00

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