Little Milton
Little Miltonと言えば1968年の「Grits Ain’t Groceries」っちゅーのがブルース界のジョーシキなのやもしれませんが、でも、わたくし、フル・オーケステレーションでネッチョリと「大甘」のヤツがやたら気に入っちゃってるんですよ。
「Hey, Little Blue Bird」なんて(どー見てもブルースにゃあ思えんけど)コッテコテのバラッドのセンチメンタリズムが、タマに聴くと、カラダに悪いと判ってても時々喰いたくなるクリームがドたっぷりなチョコレート・パフェみたいに「美味しい」んですなあ、これが。
なんだか、バーのカウンターでオンナを口説いてるバックに流れてても違和感の無い「ゴージャスな(?)」音、って感じ。(注;ワタクシはここ 2、30年、バーなんて行ってないし、そんなトコでオンナを口説くシュミもございません─誰だ?シュミじゃなく「実力が」だろう?なんて言ってるのは!)

James Milton Campbell Juniorは、1934年 9月 7日( alt.17日)に、ミシシッピー州の Inverness郊外の小作人の家に生まれています。
はじめはラジオから流れて来る The Grand Ole Opry(ナッシュヴィルの劇場で収録される C&Wの番組)のような「白人の」音楽をよく耳にしていたようですが、徐々にミシシッピー・デルタに根ざしたゴスペルやブルースに染まっていったようです。
彼の父は Big Miltonといって、ローカルなブルース・ミュージシャンだったようで、その薫陶もあったコトでしょう。

12才の時、Little Milton(父の方の子供の中に、同じ Jamesがいたので、それを知った彼は Jamesを外したのだとか)は Greenvilleの有名な Nelson Streetでデビューしました。
10代の前半ですでに、デルタ周辺のローカル・クラブなどに出演し、表通り、裏通り、街角など、いろんな場所で演奏しています。
1953年、彼は18才のときに Ike Turnerの紹介で Sam Phillipsの Sun Recordsに吹き込み。デビュー・シングルは「Beggin’ My Baby 」( B面は「Somebody Told Me 」 Hi-194、Dec.1953)でさらに二枚のシングル(「If You Love Me / Alone And Blue 」 Hi-200と「Lookin’ For My Baby / Homesick For My Baby 」 Hi-220)を録音しています(ただし、初吹き込みとしては、その前に、ピアニストの Willie Loveの伴奏で Jacksonの Trumpet Recordsに1951年12月の「V-8 Ford 」、さらに同じく Jacksonの the Lebanon Clubでの演奏「Nelson Street Blues 」も存在しています)。しかし、これでブレークっちゅうワケには行かず、St.Louisの Bobbin Recordsでの「I’m A Lonely Man (と「That Will Never Do 」も)」(1958)が初のヒットと言えるかもしれません。

こう言うと語弊があるけど、それに目をつけた Chessはミルトンを南部のブルース・サーキットから「全国区」に売れる!っちゅーことで(たぶん、ね)1960年に Checkers labelとの契約に持ち込んでいます。
その「読み」は的中し、「We’re Gonna Make It 」が1965年に Billboardの R&B singlesチャートの 1位を獲得しました。
1962年から、1971年までの間に(実際には1969年の Leonard Chessの死とともに Chessは瓦解しはじめるのですが)「Baby I Love You 」、「If Walls Could Talk 」、「Feel So Bad 」、「Who’s Cheating Who? 」、「Grits Ain’t Groceries 」などのヒットを連発しています。

1971年から1975年までの Stax時代にはまた「Walking The Back Streets 」や「Cryin 」、「That’s What Love Will Make You Do 」などのメガ・ヒットをトバしてます。また前述の「粘度(?)」が印象的な「Little Bluebird もこの Staxでございますよん。
しかしその Staxは1975年に破綻し、彼は Miamiの TK/Glades Recordsに移ります。そこでは「Friend of Mine 」がチャート・インしますがまたもやレーベルが傾いてしまう・・・

1983年、MCAからアルバム Age Ain’t Nothin But A Numberをリリースし、タイトル・チューンはちょっとしたヒットになりますが、1984年には Malaco Recordsと契約し、それが彼の最も安定した契約関係となっております。
1988年には W. C. Handy Blues Entertainer of the Year Awardを、2000年には「the Blues Hall of Fame」入り、Malacoからは14枚のアルバムがリリースされています。

でも、なんだか1980年代以降のリトル・ミルトンはココロに来ないんですよ。悪くはないんですが・・・

そして 2005年 8月 3日、Gatemouthに先立つことほぼ一ヶ月という夏のさなかに彼は亡くなりました。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-09-14 09:25

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