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Little Walter
なんだか Little Walterってゆうと「酒と喧嘩」、あるいは「ジュニア・ウェルズに負けた」とか、「アンプリファイドでハープのパワーを変えた」なんてイロんなイメージがあるようで、聴く側が自分の思い込みに合致する「リトル・ウォルター像」をセレクトしてるよなとこがありますね。もっとも、それはどのミュージシャンに対しても言えることなんでしょが。

Marion Walter Jacobsは Louisiana州 Marksvilleで1930年 5月1日に生まれています。
一説では 8才ですでにハープを吹けた(6才、っつー異説あり!)とゆーんですから、さすが天才(?)。
その後、って言うにははしょり過ぎだけど Chicagoに出てマディのとこでハーピストとなるんですが、ワリと有名なジュニア・ウェルズとの一件など、そのヘンのエピソードはマディ好きなみなさまなら先刻ご承知のことでございましょう。いちおーカンタンな年表をば・・・

1942年、家を出てニューオーリンズへ。グループで街頭や小さなクラブで演奏。
1943年〜1946年 Arkansa州 Helena周辺。 Houston Stackhouseと「King Biscuit Time」で演奏。
1946年シカゴへ。Tampa Redや Bill Broonzy、Memphis Slimらと Maxwell Streetやクラブで演奏。
1947年、Maxwell Streetの小さなレコード会社、Abrams Musicのマイナー・レーベル「Ora Nelle」に Othum Brownと「I just keep lovin’ her」などを初吹き込み(barrelhouse bh-04「Chicago Boogie」に収録)
1948年、マディのバンドに。他のメンバーは、Ernest "Big" Crawford(bass)、Jimmy Rodgers(guitar)、Leroy Foster(drums)。
1952年、マディのバンドを離れ、Junior Wellsの Acesをそのまま the Jukesに。
1952年〜1968年、Chessにおよそ100曲を録音。

マディのバンドのハーピストが Junior Wellsに変わったあたりの「いきさつ」についちゃあ、Wellsの言うエピソードみたいなんが世に広まってて、なんだか Little Walterって「たいしたこと無かったんじゃねえか?」みたいな見方もあるようですが、ずっと後まで生きてたウェルズのほーが、そこら有利だわな。そりゃあ誰だって「オレのほーがスゴい」とは思ってるんでしょーが、そこは「死人に口無し」、でございます。
ま、どっちがスゴいか?なんてえことはあたしにゃどーでもいいことでして、でも、どっちが好きか?ってんなら、もー迷うコトなく「Little Walter」ですね。

さて、この Little Walter、1952年には有名なインスト・ナンバー(彼自身は「Your Cat Will Play」と名づけていましたが、発売されたときのタイトルは)「Juke」をリリースして R&Bチャートのナンバー・ワンを獲得、イキオイに乗って(?)Louis& David Myers、そして Fred Belowを揃えたバンド、the Jukesをスタートさせとります(ただし、Little Walter And The Night Capsって名前になってる資料もあります。─theiceberg.com─ 「Sad Hours」や「Mean Old World」の後で the Jukesになった、と)。
で、チャートといえば、「My Babe」も1955年の R&Bチャートの 1位になってますが、それは1954年に吹き込んだテイクの方かな?1955年にももいちど吹き込んでいるんですが、ウチにある Chess(日本盤)のアナログ・ディスクに収録されてるのは、その二度目の録音のほうです。1954年の7月1日録音の際に参加していた Dave Myers(ギター)に替わって1955年1月25日の録音では Leonard Castonがギターで入っています。(他のメンバーは共通、ロックウッド、ディクスン、ビロウ)

1968年の2月15日に、シカゴでケンカによる外傷が原因で死亡。酒への依存と、すぐキレる性格のためにケンカが絶えず、結局は最期もそれがもとで逝ってしまったと言われています。



reserched by Othum: Blues After Dark


by blues-data | 2005-09-14 09:38

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