Lonnie Johnson
Lonnie Johnsonの生涯については(特にその成長過程など)けっこう知られていない部分があり、例えばその生年についても、1889年、1894年、1899年、さらには 1900年という諸説があり(ただし誕生日については 2月 8日、ということで統一がとれているようですが)、さらに出生地も一応 New Orleansとされてはいますが、もっと Memphisに近いところだ、とする意見もあり、いまだに一部では議論が続いています。

そのことからも判る通り、彼の幼少期を知る証人は失われて久しく、残っている証言も断片的なものとなっています。
彼 Alonzo "Lonnie" Johnsonは(海外のサイトでひとつだけ Alfonzoとしているものがありましたが) 13人の子供のひとりとして生まれており、父と兄弟からなるファミリー・バンドの一員として音楽に触れるようになったとされています。
その彼がやがて独立して New Orleansのカフェ(つーても中にゃあかなりいかがわしいトコもあったらしいっすよ)で演奏するようになり、次いで、海外に派遣されていたアメリカ軍兵士を慰問するために Will Marion Cookの Southern Syncopated Orchestraに加わり、ヨーロッパに旅立って行ったのですが、その間に悪質な「スペイン風邪」がもとで、兄弟のほとんどと父を失っています。
帰って来た彼が見たのは、かろうじて生き残った母と唯一の兄弟 James "Steady Roll" Johnsonの二人だけでした。

その James Johnsonと二人、1920年に St. Louisに移っています。
この時期は Charlie Creath's Jazz-O-Maniacsの一員として、またミシシッピー河を航行するリヴァー・ボートで Fate Marableのバンドのメンバーとして活動していたようです(このあたりのジャズあるいはヴォードヴィル系と思われる楽団やら人名については「探索」いたしておりません。どーもワタクシの担当外のようですんで・・・)。
1925年にはブルース・シンガーの Mary Johnson(元々Johnson姓だったんでしょね?)と結婚し、さらに Okeh Recordsがスポンサーになったコンテストで優勝し、ごホウビにレコーディング。
年代から言ってこれしかないでしょ、っつーコトで、その時吹き込まれたのが「Falling Rain Blues / Mr. Johnson's Blues 」─1925年11月 4日、St. Louisにて録音、Okeh 8253として発売─これだと思います。

その後ジャズ系の Eddie Lang、Louis Armstrong and his Hot Five、そして the Duke Ellington Orchestraなどとも関わっていますが、そこらはそっちカンケーのサイトでどうぞ。

1930年代初め( 1931年の早春)には New Yorkで Okehに「Beautiful But Dumb 」などの吹き込みも行っていますが、やがて Ohio州 Clevelandに移り、the Putney Dandridge Orchestraに参加する一方、タイヤ製造工場や製鉄所でも働いたりしてるんですよ。
そして1937年からは Chicagoに移動し、Johnny Doddsや Jimmie Nooneとも活動を共にしています。
そして 1939年には Bluebirdと契約、1942年 2月13日の Chicagoでの録音では 10曲を吹き込んでいます。
He's a Jelly Roll Baker 」とカップリングとなった「When You Feel Low Down 」( Bluebird B9006 )をはじめ、「Baby, Remember Me / Lonesome Road ( Bluebird34-0714)、「Fly Right, Baby / Rambler's Blues 」( Bluebird34-0708 )、「The Last Call / From 20 To 44 」( Bluebird B8980 )、「The Devil's Woman / Heart Of Iron 」( Bluebird B9022 )がそれ。

1946年には Blind John Davisと Lonnie Johnsonのデュエットで Disc labelに吹き込み、1947年には同じくデュエットで Aladdin labelにも吹き込んでいます。
また1948年には単独で「Tomorrow Night 」を King Recordsに吹き込み、これは同年の R&Bチャートで 30万枚を売る最大のヒットとなりました。また1952年には渡英した最初のブルースマンとなっています。
しかし、その後一時期、Lonnie Johnsonは音楽ビジネスから離れていたのですが、ジャズ愛好家(?)の Chris Albertsonによって1959年に再発見された時には Philadelphiaの Ben Franklin Hotelの門衛をしていたそうです。
1961年には音楽界に復帰し、Spiveyに二枚のアルバムを録音しています。また1963年の American Folk Blues Festivalにも参加しています。

1965年にカナダの Torontoにあるコーヒー・ハウス、the Penny Farthingに出演したことがきっかけとなって、その街に住むようになりました。そして Home of the Bluesというクラブまで開いています。1967年には彼の最期のレコーディングが Folkwaysに二枚。
1969年に彼は交通事故にあい、それと併発した発作によって左半身麻痺となってしまったのですが、1970年には Torontoの Massey Hallで聴衆の前に姿を見せ、それが最期のパフォーマンスとなりました。
その年の 6月16日、事故の後遺症から来る合併症で死亡しています。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-09-14 11:20

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