Louis Collins a.k.a. Mr. Bo
さて皆様は Mr.Boをご存知でしょうか?彼の兄弟、Little Mac Collinsと共作し、1966年に Detroitで録音された If Trouble Was Moneyは、後に Albert Collins(with Charlie Musselwhiteのコンビ?)によってもカヴァーされていますが、初期の B.B.を思わせるヴォーカルと、それよりはもっとアクの強いトレブリィなギターで、じっくりと歌い上げるスロー・ブルースとなっています。バックにはホドをわきまえた、それでいて要所を抑えるリリカルなピアノと、さらに地味ながらもブラス・セクションが控え目に和音をもぐりこませ、全体のトーンに微妙に色付けしてるのねん。ただしバッキング・メンバーは不明でございます。
1995年にこの曲を再吹き込みし、Blue Suitから『If Trouble Was Money』というタイトルでアルバムも出ているのですが、そちらはまだ聴いたことがおまへん。

Mr.Boこと Louis Collinsは Mississippi州の Indianolaで1932年 4月 7日に生まれました。
1946年には Chicagoに移りますが、1950年代に入ってすぐ、今度は Detroitに行っています。ハウス・パーテイなどで腕を上げていったようですが、そこで Washboard Willie*やジョン・リー、Vernon Harrison "Boogie Woogie Red"**や Little Sonny、さらにEddie Burnsなどと知りあう。
1950年代の晩期に彼は「 Mr. Bo」と名乗るようになっています(ただその由来は判りまへんでした)。1959年には初吹き込みをしていますが、その時のレーベルは Northern、Big D、Reelあるいは Diamond Jimのどれかと思われます。

そして1966年に、兄弟の Little Mac Collinsと一緒に作った「If Trouble Was Money」を録音するワケですな。
そのリリース後、定期的にクラブで演奏などもしているのですが、彼の知名度は次第に落ちて行き、1980年代には「忘れられた存在」になりかけていたようです。
1993年に、オランダの Blues Estafetteからそのオリジナル・シングルがリイシューされたのを契機に、復活がはかられ、1995年にはスタジオ入りして再び「If Trouble Was Money」をレコーディングし、Blue Suitから発売されています。
しかし彼はその結実を味わう間もなく流感で死亡してしまったのでした。時に1995年 9月19日のことです。

* ─William Hensley。Georgia州 Columbus出身、1909-1991。31才の時にパーカッションに目覚め、以来ウォッシュボードやフィンガー・シンバル、フライパンを身につけて「ひたすら」叩き続ける。1948年、Detroitの北部に移り、自動車製造ラインの洗車部門に勤務。1952年ころ、ジョン・リーや Eddie Burnsが出ていた Harlem Innにライヴを観に行った際、その時のドラマーがイケてなかったのでクルマからウォッシュボードを取って来て演奏に参加したところ、二曲目でクラブ・オーナーが毎週末、演奏してくれるよう依頼し、それから 3年間、そのクラブでステージに立ちました。そして自分の仕事がらみの「泡─Suds」からヒラメいてバンドを Washboard Willie & the Super Suds of Rhythmと命名。1955年には Little Sonnyが加入。1956年、Joe Von Battleに「Cherry Red Blues」、「Washboard Shuffle」、「Washboard Blues Pt. 1 & 2」などを初吹き込み。1957年から1962年にかけて Von Battleに吹き込み。彼のドラム&ウォッシュボードに、Calvin Frazierのギター、Boogie Woogie Red(Vernon Harrison)のピアノ、Chuck Smithのバリトン・サックスというものでしたが、そのテープは George Paulusが Von Battleの倉庫から持ち出して自身の Barrelhouse Recordsで1982年にリリースするまで「眠り」についていたのですが。他に Herculon labelから「Natural Born Lover」と、有名な「Wee Baby Blues」(共に1966年のセッションから。 Evans McLendonのギター、 Angelo Willisのバリトン・サックス)や Big Bear/Poly 2460 186がある。1973年からは各地のフェスティヴァルなどに参加していますが、1980年代にはいると、地元の婚礼などで演奏する他はあまり出て来なくなります。家庭を大事にし、日曜学校の教師でもある多忙な生活を充分に楽しんでいたようですが、1991年 8月24日、Detroitで死亡。

** ─Loisianna州 Rayville生まれ。1924.10.24。まだ若いうちに一家を挙げて Detroitに移り、彼は Big Maceoや Dr.Claytonの影響を受けつつも自分のキーボード・スタイルを構築していく。18才のときに Chicagoに乗り込み、Lonnie Johnsonや tampa Red、さらに Memphis Slimなどとジャムをするようになっています。1946年には Detroitに戻り、そっから14年間、ジョン・リーのもとで過ごす。しかしモータウン・サウンドの隆盛に押されてブルースが下火になるにつれ、彼も一旦、演奏から身を引きます。それが1971年、ヨーロッパでのツアーに参加した彼はその反応に気を良くし、デトロイト周辺でのライヴの他に海外へのツアーも開始する。アルバムは『Live At The Blind Pig』など。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-09-14 11:39

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