Oett "Sax" Mallard
Roosevelt Sykes の Delmark での Feel Like Blowing My Horn でバッキングしているサックス・プレイヤー、Oett "Sax" Mallard。
そのサックス・ソロなんて、それだけで充分「聴いた」っつう実感があるほどのもんだし・・・などと紹介したほど、けっこうプレゼンスがあります。
純粋なブルース畑のひと、とは言い難いとこですが、A.C.リードなんかより「サックスとして」素晴らしい!って気がいたします。

Oett M. Mallard(ミドル・ネームの「M」がなんの略かは不明です)は、1915年 9月 2日、Chicago で生まれています(ただし異説もあり、それでは10月 2日、と)。
Chicago Defender紙によれば、彼は 6才にして早くもショッピング・バッグを売ることでカネを稼ぎ始めた、のだそうですがホントでしょか?10才では靴磨きに転向したんだって。
それはともかく、彼が音楽を始めたのは、これもそーとー早かったらしく、僅か16才で自分のサックスを手に入れてるんですよ。まだ高校在学中でしたが、すでに Captain Walter Dyett っつーバンド・リーダーのもとで音楽を学んでおったようですね。
かって、この日記の他のブルースマンのとこで、サックスを欲しがるムスコにハープを与える、なんてえハナシが出てきておりましたが、それもムリはないのでございまして、楽器として、最低の基準をクリアする製品っての、サックスだとメッチャ高いんですよ。
お馴染みの Sears なんて通販で買ったよなワケ判らんメーカーのギターでエグいブルースを演奏するおっちゃんが、ディープ・サウスのジューク・ジョイントにゃイッパイいそうですが、そのギターの値段のおよそ 10倍以上するのがザラで、ハープだったらそりゃもー 100本は買えちゃいます。
ムスコがいきなり、とーちゃん、ポルシェ買ってよ!なんて言うのと同じくらい(あ、当時の南部の標準的な黒人の家庭のバヤイね)、そりゃもーテメエなに考えてやがる!てなクラスの楽器だったのですなあ。

しかし、コツコツと貯めたおカネのおかげでか、自前で楽器を揃え(!)、ブジ高校も卒業出来たようで、すぐさま、彼は「クラスメイトだった」 Nat "King" Cole とともに、2年半に及ぶアメリカ国内およびカナダまでまわるツアーに出ています。
この時期、それらのツアーを打ったプロモーター Miller Lyle の娘が Sax Mallrd の妻となったのでございました。
・・・というのは「あの」All Music Guide のバイオによるものなのですが、さて、Miller Lyle?その Biography のその名前のリンクで飛ぶ先は「 2003年にアルバムをリリースした Lyle Miller 」であって、そんなプロモーターの紹介なんぞ、これっぽっちもされておりません。第一、その Miller Lyle っての、おそらく Miller & Lyles* のことなんじゃないの?

* ─ Miller & Lyles; 1887年 4月14日、Tennessee 州 Nashville 生まれのコンポーザーかつシンガーの Flournoy E. Miller と、1883年 7月28日、Tennessee 州 Jackson 生まれでこれもソングライターかつヴォードヴィリアンの Aubrey Lyles が「組んで」Miller & Lyles として Shuffle Along などの興行を打っており、1932〜1933年にも再編している。

また Nat "King" Cole は 1919年の生まれで、4年も違うふたりが「クラスメート」になどなるものでしょうか?
All Music Guide ではプロモーター Miller Lyle がツアーの一行のメンバーたちからは「嘘つきミラー( Miller Lyin' )」と呼ばれており、ギャラを払わないので有名だったから、Sax Mallard はその腹いせに彼の娘を奪って妻にした、などと書かれてますが、さて、どこまで信用して良いものやら?
ココロあるブルース・エンスージャストたちの間では All Music Guide は「ウソ・誤記・事実誤認」だらけ!っちゅうことで有名ですからね。
ちなみに「信頼できそうな」サイト、http://home.earthlink.net/~v1tiger/saxmallard.html によれば、Shuffle Along に加わっていたことは記載されていますが、Nat Cole も、娘を奪ってきた、なんてハナシも載っておりませんでした・・・

次いで彼は Kenny McVey 楽団に入り、Colorado 州 Denver の Tivoli Terrace から毎日放送されていた 30分番組二本に関わって行き、1936年には Lionel Hampton に彼のアレンジメントを買ってもらっています。
そこから Chicago に戻った彼はミュージシャンの連盟に加盟しました( 1937,Aug.5 )。この時期から第二次世界大戦までの間に Fats Waller、the Deep River Boys、the Original Ink Spots、the Andy Kirk Band、the Mary Lou Williams Quartet などを経験して行きますが、一時的には Duke Ellington にも顔を出しておりました。
1942年には Chicago で 12名編成のバンドのメンバーとなっています。
このバンドはドラマーの Floyd Campbell(1901-1993 )によって率いられ、Indiana 州 South Bend や Indianapolis から Wisconsin 州の Milwaukee あたりを中心に演奏活動を行っていました。当時のメンバーは Louis Ogletree-tp、Louis Alahard(資料によっては Acerhart としているものもあります)-tp、Al Wynn-tb、Herman Barker-as & ts、Oett "Sax" Mallard-as & cl、Al Washington-ts、Nat Walker-p、Les Corley-eg、Earnest Smith-b、Floyd Campbell-d、Carrol Tucker-voc. となっていますが、Floyd Campbell の、より小さなクラブなど向けの小編成のコンボの方には入っていないようです。
続いては Duke Ellington and his Orchestra に参加し、1943年 4月 3日、New York、Hurricane Restaurant での Take the "A" Trainなど(スェーデンの Azure LP 431 )で録音を残しています。(ま、Take the "A" Trainだけで、他に Rarities 56、Jazz Anthology JA5124 に別テイクもあるんですが)
第二次世界大戦での軍務を終えた1946年には Chicago の Armand "Jump" Jackson のコンボのメンバーとなり 2月~ 8月には Roosevelt Sykes のバックとしてレコーディングしています(本来は RCA Victor、そして Columbia への録音だったようですが、現在では Document BDCD 6048 などに収録されています。ただし、前述の All Music Guide では、"Jump" Jackson のコンボとして、ではなく「 Roosevelt Sykes and his Original Honeydrippers のメンバーとして録音に参加」としています)。同年には Tampa Red や Big Bill Broonzy(この 1946年末には Big Bill Broonzy's Rhythm Band のメンバーとして Columbia に I Can Fix It と Old Man Blues を吹き込み ─ Columbia #37502。なお、この Rhythm Band のメンバーは他に Johnny Morton-tp./ Bill Casimir-ts./ Charles Belcher-pf./ Ransom Knowling-b./ Judge Riley-ds. ) とも吹き込んでますが Aristocrat に接近し、それが Chess へのルートをつけたのかもしれません。また、Roosevelt Sykes が Specialty に The Blues Man 名義(!)で吹き込んだ際にも参加。
1947年には "Jump" Jackson のコンボとして Melrose Colbert、Arbee Stidham、Andrew Tibbs、Washboard Sam、さらにまた Big Bill Broonzy や Roosevelt Sykes のバッキングをこなし、さらに Eddie Boyd や Dinah Washington、Rosetta Howard などとセッション、また Dave Young のオーケストラのサポートに入って Dinah Washington の Mercury への吹き込みにも参加。
この 1947年にはその年末に「初めて自分名義での」レコーディングも行っています。Aristocrat への The Mojo と Let's Love Again の二曲で、ヴォーカルは Jimmy Bowman でした。
1948年には、ヴォーカルを Andrew Tibbs に変え He's Got Her And Gone( Aristocrat #1106 )を録音。バッキングでは同年の The Dozier Boys( She Only Fools With Me / St. Louis Blues ─ Aristocrat #3001 )、1949年の Grant Jones の Coral への、Arbee Stidham と Eddie Penigar の RCA Victor への、各吹き込みを行い、1950年には Al Benson の TV 番組のためのスタジオ・バンドにも参加しています。
1951年元旦、新生 Checker レーベルから Osie Johnson をヴォーカルに立てた自己名義のシングル、Slow Caboose / Let's Give Love A Chance ─ Checker #750 をリリース。( alt. ただしこのリリースは 1952年としている資料も存在し、ほとんどの資料では Checker レーベルそのもののスタートを 1952年としています。http://home.earthlink.net/~v1tiger/saxmallard.html がこれを 1951年としている理由については「不明」)
1952年の暮れ近くには Chance Records に Big Bertha と Lou Blackwell のバッキングで録音に参加。同様にバッキングとしては 1953年の Mitzi Mars の Roll 'Em / I'm Glad ─ Checker #773、The Coronets の Nadine / I'm All Alone ─ Chess #1549 と Baby's Coming Home / Should I? ─ #1553 も行っています。
その後も Guitar Slim、Earl Hooker とも共演してますし、数々のブルースのレコーディング・セッションに関わりました。
1970年の Delmark への King Kolax や Fred Below のバッキングが「公式には」レコーディングの最後のデータとなっています。

ただ、そのサックス・プレイは、かなり洗練されたテイストを持ち、クォリティも高いのですが「いわゆる」ホンカーたちのようなインパクトには欠け、聴く者の「血を沸かす」よりは「耳を傾けさせる」傾向の方が強いように思いますね。モチロン悪いことじゃないんですが。
その彼は晩年、Chicago Federation of Musicians の運営に関わっていたようですが 1981年の Blind John Davis のラジオ出演時に共演したのが最後に録音された音となっているようで、1986年の 8月に 70才でこの世を去りました・・・


reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2009-02-03 10:22

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