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Willie Baker
Willie Bakerの Weak-Minded Blues、そのタイトルに反して、やたらゲンキがいいじゃありませんか。
お仲間(?)の Charley Lincolnなんてアダ名こそ Laughing Charleyなんて言われてても、その歌となると、ケッコー内向的っつーか、ま、陰気、と言ってもいいようなダウン気味なのに対し、あくまでアッパーっつうか、あっけらかんと唄い上げていきます。

ギターの音の扱い、曲全体の構成など、Barbecue Bobや Blind Willie McTellなどにも通じる「この一派」に共通したクリシェが下敷きになっているようですが、このひとの唱法はその節回しや旋律の骨子などで、ところどころ、ブルーグラスなどにも一部共通するような白人的なものが見られるような気がいたします。
よく言うところのアパラチア山系の「ケルト系→アイリッシュ(あるいはスコティッシュ)→アパラチアン」という、古ヨーロッパ文明の残滓まで「嗅ぎ分けられる」なんてホラをこくつもりはありませんが、やはりアフリカ&西インド諸島由来のものだけではない「雑味」・・・じゃなかった「隠し味」が「むしろ」ブルースを引き立ててくれてるよな感じがしませんか?

彼は 1920年代の半ばから 1930年代にかけて、前述の Barbecue Bobや Charley Lincolnの Hicks兄弟(って、なんじゃそりゃ?って文面ですが、詳しくは 2003-10-162003-10-09あたりをご参照くださいませ)、James Weaverに Blind Willie McTellなどと Atlanta周辺において交流し、一瞬の光輝を放つのですが、あいにく、その彼の出自について、さらにその後の彼の人生なども歴史の中に消えてしまったらしく、それを辿り得る資料を捜し当てることは出来ませんでした。
収録アルバムは Yazooの The Georgia Blues 1927 - 1933。他に DocumentのComplete Recorded Works 1927 - 1930では Charley Lincolnとの組み合わせとなっています。

さらに Gennett 6766 Mamma, Don't Rush Me Blues なんてのが、コレクター垂涎の 78rpmレコードとなっているようですが、そこらも上の Documentには入ってたハズ。



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# by blues-data | 2005-12-22 22:55
William Harris
William Harrisもまた非常に資料が少ないひとです。
Cream Of The Crop: ROOTS RL-332に収録されている Kitchen Range Bluesを聴くと、Vestapolチューニングのオープン Eと思われるギターはブーギ・フォームのリズムをとってはいませんが、歌詞もコードも標準的なブルース進行の A-A'-Bというパターンをきれいにおさえた曲となっています。
エグい個性はあまり感じられませんが、まさにスタンダードなブルースをゆったりと歌う余裕を感じさせてくれます。

その Cream Of The Cropのクレジットによれば、1928年10月 9日、Indiana州 Wayne郡の Richmond(フツーRichmondってゆーと Virginia州なんですが、そっちじゃないのよん。)での録音、となっていますが、他の資料とも合致しておりました。
ただ、彼をミシシッピー・デルタ出身と推定する説と、1927年 7月18日の初吹き込みが Alabama州 Birminghamで行われている事実をもとに、Alabama系のブルースマンである、とする説が存在します。

そして特に、この録音の日付に注目して、彼が F.S.Wolcottの Rabbit Foot Minstrelsの一員だったのではないか?とする( by Jason Ankeny)説があり、それは翌1928年10月の 9日からの 3日間という二度目の録音の日付が、一行の巡業日程とも合致することによって説得力を持ってはいますが、残念ながら、同ショーのメンバーの陣容を証明できる資料があってのことではないので、これもまた推測の域を出ない、と言って良いでしょう。
William Harrisの足どりは、1928年10月11日の 3曲を最期に「消え」てしまいました。
どこで、いつ生まれて、どんなふうに育ち、どう生きて、いつどこでどのようにして死んでいったのか、すべてナゾのまま。



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# by blues-data | 2005-12-22 00:56
Bobby Robinson
1917年 4月16日、South Carolina州の州都 Columbiaから北西に約100kmほどの位置にある Union(地名です)に生まれ、Elmore James on Fire/Enjoy ( P-Vine PCD 2889/90/91)の日本語に翻訳されたライナーで見る本人の言葉を信じるとすれば、南部での生活の経験もあるようですが、1930年代の終り近くに New Yorkに出て来たひとりの男が、1946年、あの有名な Apollo Theatreから僅か 1ブロックの 301 West 125th Streetに Bobby's Happy House Recordsというレコード店をオープンしています(ただし、その店名は Bobby's Record Shopである、とする資料もあります)。
そこにはあの Atlanticの Ahmet Ertegenと Herb Abramsonがしばしば訪れ、彼らの製品を持ち込んでは、その男にレコード店主としての意見も訊きにきた、と言われております。
その男こそが Bobby Robinsonでした。

彼はレコードを販売するだけではなく、やがて自ら製作する(資料によっては、彼が Mel Londonの Chief Recordsのやり方に飽き足らず、自分のレーベルを、としているものがありましたので、もしかすると、一時 Chiefに関わったことがあったのでしょうか?残念ながら、他の資料では裏付けがとれていませんので、そのようなハナシも存在する、とだけお伝えしときましょ)ことを目指すようになり、1950年(あるいは 1951年)には Robinというレーベルを作りましたが、これは南部に、まったく同名のレーベルがすでに存在していたことが判明したことから、1952年には Red Robinと改名しています。このレーベルは兄弟の Danny Robinsonと共同で始めたもので、追って Whirlin' Disc Recordsを 1956年(単独で)、Holiday Records( Danny単独)に、また Fury Recordsも 1957年(これも単独)、さらに Everlast recordsは同じ 1957年ですが共同で、続く Fire Recordsが 1959年(単独)、Enjoy Recordsを 1962年(共同)に設立し、かなり膨大なカタログを持つようになっています。

ただ、本来 Fireは音楽出版に始まり、後には Furyなどで録音したトラックを販売するための別レーベルとなった、としている資料もありますが、そのヘンは確認出来ませんでした。
Red Robinは Morris Lane、Charlie Singletonあたりに始まり、Jack Dupree、Sonny Terry、Brownie McGhee、そして「あの」 Tiny Grimes( 1954)なんてのも・・・残念ながら(?)我らが Screamin' Jay Hawkinsセンセはすでにこの時期の Tiny Grimesのとこにはもうおられませんのですじゃ。
この Red Robinは次の Whirlin'ともども、全体としては明らかにヴォーカル・グループをそのカタログのメインにしており、たとえば The Trasher Wonders、The Du Droppers、The Vocaleers、The Velvetsなんてそれらしい名前でイッパイです。
Whirlin' Disc Recordsは The Channels、The Continentals、The Quadrellsなんてグループが吹込んでますが、これらがどんなグループなのか?なんてことは訊かないでねん。
Holiday Recordsは The Bop-Chords、The Harmonairesなんてのが録音してますが、これもどんなのか、さっぱ判りません。

とは言っても Furyのカタログを見ても The Kodaks、The Federals、The Miracles、The Emotionsなんて言う、たぶんヴォーカル・グループじゃ?ってのがどっちゃりあるんですけどねえ。
ま、あまり厳密には別けてなかったんでしょか。
そして Furyとなると The Teenchordsに始まって Hal Paigeや Tarheel Slim、Wilbert Harrison、そして「あの」 Fury 1035、Sammy Myersの You Don't Have to Go (1960)なんてのもあります。
後には Lee Dorseyなんてのもカタログに加わりますが、ここでの最大のヒットは Wilbert Harrisonの Kansas City (1959 -two million!)でしょか。ま、Gladys Knight & the Pipsなんてのもありますが。
その Kansas Cityについては Wilbert Harrisonが Savoyとの契約を残していたため、裁判沙汰となってエラい目にあったりもしております。

Everlastでは The Charts、The Kings & the Queens、Les Cooperなんて名が挙っていますが、ワタクシとしちゃあ Wild Jimmy Spruillが目玉ですなあ。
ま、上で挙げた他にも Danny Robinsonのレーベルで The Rodans、Charles Walker、Bobby Brantなどを持つ Vest Records、Jerry Dornや Artie Lewis、Jesse Powell、Bob Myersなどをリリースした Fling Records (by Bobby)、King Curtisの Soul Twist (1962:後に Everlast 5030)や Janet Calloway、Titus Turner、Riff Ruffin、Willie Hightower、そして後には Elmore Jamesもリリースした Enjoyなどという一大グループとなっているワケです。

1970年代に入ると Bobby Robinsinは Hip Hopにも手を拡げ、主に Enjoyレーベルでそれを採り上げています。



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# by blues-data | 2005-12-21 22:56
Wild Jimmy Spruill
Kansas City Marchってのは、あの Wilbert Harrisonの Kansas City でイキのいいギター・ソロをブチかましてくれた Jimmy Spruillの便乗盤(?)でございます。つーか、あのギターのウケがいいので、ここはいっちょ、それだけで押してみっか?てなもんだったんざんしょか?
てなワケで(あ、ホントかどーか判りませんよん。ムセキニンにそーだったりしち、って仮定してるだけですからねえ)、もう徹頭徹尾、彼のギターを主役に(とーぜん歌ナシ!)ゴリ押しでございます。
バックにはピアノもいて、典型的なブーギウーギ・パターンを弾いているんですが、あまり目立ちません。なんたって、サイドを切るギターもやけに「張り切っちゃって」て、めちゃめちゃキレのいい(良すぎる?)特徴的なカッティング・パターンを貫いてますよ。
さらにドラムはってえと、もしかして、ハイハットの上にタンバリン置いてねえ?っちゅーなんだか耳障りな付帯音がず〜っと鳴りっぱなしでげす。

でも、そんなの気にするふうもなく Jimmy Spruillのギターは炸裂しっぱなし。
かなりトレブリィなんだけど、あましサステインの無い音で、アーミングで音揺らしつつ、しかも時にグリッサンドも交えつつ、モロ元気よくトバしてまいります。
この音作りはカンゼンに「ギター」に照準を当ててますなあ。だから、普通だったら「ウルサイ!」ってド叱られそなサイドのカッティングもあれでいーみたい。
ただ、これが現代のギター・フリークたちにウケるか?ってことになると、ちょとギモン。
現代のイロんなギターのスタイルの中でも、ワリと共通してる、ってのが「音伸び」重視、ってとこじゃないか?と思うんですが、そこ行くと、彼のギターは減衰がハゲしすぎるよな気がするのよねー。
ま、だから某「I」楽器店の自社ブランド「M」っちゅーギターみたく、積層合板ボディにチープなハムバッキングなもんで、音ショボイ、なんてヤツでバリバリ弾くと、こんな感じになる、と。

さて、多くのブルースマンたちの足取りを追ってゆくと、とーぜんメイン・ストリームっちゅうのが、Mississippi Deltaから北上(ま、途中 Memphisや Helenaでの道草もあるよーだけど)して Chicagoへ、ってえ図式が有名ですわな。
他にも Texasから West Coastへ、というのもよく知られたルートです。
そこいくと、ややこじんまりとした「流れ」ながらも、North、あるいは South Carolinaから New Yorkへ、っちゅうアメリカ東海岸に特有のパターンも存在してるよーに思われます。

James ’WILD JIMMY’ Spruillは、1934年 6月 9日、North Carolina州の Washingtonで生まれているようです。
ただ、このひとの経歴に言及した資料が殆ど無く、そっから先で判っているのは、どうやら1955年あたりに New Yorkに出てきたらしいこと、あとはレコーディング・データと、1996年の 2月3日、North Carolina州の FaytteVilleで、心臓発作のために死亡した、ってことくらい。お手上げです。

ま、音がすべてを語ってくれてる、っつーコトにしておきましょ。
判ってる範囲では、彼が参加した最初の吹き込みは Charles Walker’s Band With Guitar-James Spruillの Driving Home, Part 1 / Driving Home, Part 2 (HOLIDAY 2604)で1956年のことです。
彼の自己名義での初吹き込みは1957年(1959年とする資料もありますが、それは「"Wild Jimmy"」 Spruill名義での初吹き込みであって、James Spruill and Bandを忘れちゃいけまへん)の「Honky Tonk Hucklebuck / Jumping In」 EVERLAST 5004でしょう。
間にまた James Spruill and Bandでの「Honky Tonk Hucklebuck / Jumping In」 CEE JAY 581(1957)と、Tarheel Slimの「Wildcat Tamer / Number Nine Train」にギターで参加した Fury 1016(1958)を挟み、1959年からは Wild Jimmy Spruillとなって(?)この「Kansas City March / Hard Grind」を Fireに吹き込んでます(FIRE 1006)。
Wild Jimmy Spruillとしては、他に「Scratch ’N’ Twist / Slow Draggin’」 EVERLAST 5017(1961)、「The Rooster / Cut And Dried」 ENJOY 2006(1965)。
そしてタダの(?)Jimmy Spruillで「Lonely Island / ?」 CLOCK 1038(1960)が、そしてちょっとだけちゃう Jimmy "Wildman" Spruill名義で「Country Boy / Scratchin’」 VIM 521(1962)があります。

アルバムでは、イギリス KRAZY KAT KK 7429(1984)、WILD JIMMY SPRUILL『THE HARD GRIND BLUESMAN 1956-64』がリリースされています。収録曲は
Kansas City March/ Hardworking Man (B. Brown & his Rockin’ McVouts)/ Hard Grind/ Driving Home Pt.1 (Charles Walker)/ Drafted (Wilbert Harrison)/ Slow Draggin’/ Rockin’ With "B" (B.Brown & his Rockin’ McVouts)/ Scratch ’N’ Twist/ Hard Times (The Slop) (Noble "Thin Man" Watts)/ Your Evil Thoughts
(Lee Roy Little)/ Charles Walker Slop (Charles Walker)/ Jersey City (Bobby Long)/ Believe Me Darling (June Bateman)/ Scratchin’/ Country Boy/ Cut And Dried

彼が録音に参加したミュージシャンは他に
Jimmy Lewis / Elmore James / King Curtis / Billy Butler / Bobby Donaldson / Danny Moore / Odie Payne / Levon Helm / Belton Evans / J.T. Brown / Johnny Acey / Paul "Huckle-Buck" Williams / Robbie Robertson / Charlie Musselwhite / Michael Bloomfield / Riff Ruffin / Melvin Lastie / Garth Hudsonなど、実に多岐にわたります。ま、こんだけカツヤクしてるワリには資料が無いってのがフシギです。

あ、そうそう、この Furyをやってる Bobby Robinsonってひとも Jimmy Spruill同様に、東海岸の South Carolina州から北上して New Yorkに来ていますね。

James "Wild Jimmy" Spruill、いまからほぼ 45年前のギターです。音的にはシンプルでストレート。でもその姿勢はアグレッシヴ!なんだか今のギタリストってトーンはアグレッシヴでも、フレーズは手アカのついた使いまわしになってません?逆だよね。



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# by blues-data | 2005-12-21 22:49
Wilbert Harrison
Wilbert Harrisonと言えば Kansas City!
一瞬、ファッツ・ドミノを思わせる 5度から 4度に落ちてくる R&Rっぽいピアノ(もちろん、テンポはゆったりしてますが)で始まり、I’m goin’ to Kansas City, Kansas City here I come ・・・というお馴染みの歌がケッコー落ち着いたトーンで染み込んでくるんですが、間奏では一転、Jimmy Spruillのハイ・テンションかつトレブリィでハードなギターが「かき回し」、ヴォーカルの抑えたトーンと対照的です。
案外そのクールな印象の歌との対比も面白いし、一種の「ご当地ソング」ですから、聴く側も勝手にその「カンサス市」についてのイメージを膨らませられる部分もあったのか、ビルボードでは、初登場100位から 6週間をかけて、1959年5月18日には遂に「1位」まで昇りつめています(翌週も1位)。
ただ、その Kansas Cityの原曲は Little Willie Littlefieldの K.C. Loving で(もち、「K.C.」ってのは「Kansas City」ね)、このカヴァーのヒットによって、原作者、Jerry Leiber/Mike Stollerの著作権料など、金銭トラブルもあったようですね。なまじヒットするとこれだもんなあ。
ついでながら Kansas Cityでトンがったギターを聴かせてくれる Jimmy Spruillは同年、Little Jimmy Spruillの名で Kansas City March なんてのを Fireに入れてます(『N.Y.Wild Guitars』 P-VINE PCD-2359に収録)。

Wilbert Harrisonはその後、Let’s Work Togetherなんてそこそこヒットした曲もありますが、ポップ・チャートの上では、ま、キョクタンに言っちゃうとミゴトな「一発屋」だった、つーことになるんでしょね。ま、アメリカじゃ、二発屋(?)ってことで「A Two-Hit Wonder」なんて言われてるよーですが。

Wilbert Harrisonは1929年の1月5日(6日としている資料もあります)North Carolina州の Charlotteで生まれました(28人家族だったとか!)。
成長の過程で触れていたのはスピリチュアル/ゴスペルからヒルビリー/カントリーとかなり幅広かったようで、そのあたりが彼の音楽的な指向性を左右しているように思われます。
1946年に入った海軍をブジ(?)1950年に Miamiで除隊し、その周辺で音楽活動を始めているのですが、カリプソをベースにした傾向だったそうです(!)。
それがマイアミのプロデューサー Henry Stoneの目にとまり、Rockin’という彼のレーベルにデビュー・シングル This Woman of Mineを吹き込み、Rockin’ 526としてリリースされました(カップリングは The Letter)。
ワタシは聴いたことがないのですが、その曲では既に、後の「Kansas City」に使われているのと実に良く似たメロディが登場しているのだそうです。
でも、その頃すでにオリジナル、Little Willie Littlefieldの K.C.Loving はリリースされてたワケでしょ?じゃあ、やはり、ウェストコースト・スタイルだったオリジナルを、そのスタイルにコンヴァートしたことによって大ヒットにつながった、ってワケなのかな?
この頃には、あのハリー・ベラフォンテの「Calypso Man」なんてのもカヴァーしてた、ってゆーから、にゃるほど、「並み」のブルースマンとはそーとーちゃいますね。

やがて New Jersey州の Newarkに移り、Savoyの上層部が迷ってるうちに、偶然、プロデューサーの Fred Mendelsohnの目にとまり、Terry Fellのカントリー系のキャッチーなカバー「Don’t Drop It」から始めて、Savoyにいくつかのセッションを録音していますが、1954年から1956年にかけて、当時の New Yorkのトップ・クラスのセッション・メンバー;アレンジャーの Leroy Kirkland(記憶の良い方なら覚えておられるかもしれませんが、「あの」Screamin’ Jay Hawkinsの作品でも顔を出しておりますぞ)、サックスに Buddy Lucas、ギターには Mickey Bakerと Kenny Burrellっちゅう「豪華メンバー」を揃えたにも「かかわらず」ヒットにはつながらなかったのねん。

そして1952年に Bobby Robinsonが所有する Furyに吹き込んだ Kansas City(Fury 1023)が大ヒットし、R&Bとポップスの両チャートで成功するのですが、実はその時点ではまだ Savoy(その経営者 Herman Lubinskyがその少し前に姿をくらましていたとはいえ)との契約が「有効」であったため、そのヒットがトラブルの原因となってしまったワケです。

1960年代の後半にはワンマン・バンド・スタイルで演奏していたらしいのですが、1969年に出した Let’s Work Together(Sue 11)が R&Bチャートの 2位、ポップ・チャートの17位、という久々のヒットになっており、それも入れて「A Two-Hit Wonder」と言われてるようですが、それを重視しないひとは「A One-Hit Wonder」と、やはり「一発屋」扱いでございます。
その後、一時期ウェストコーストに行ったりもしてたようですが、1994年10月26日やはり North Carolina州の Spencerで死亡しました。



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# by blues-data | 2005-12-20 15:48

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