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Sam Lay
Sam Layは、「あの」 Magic Samの Ann Arborライヴでドラムを叩いたので有名ですが、彼の場合はドラムのみならず、ヴォーカルの方でも例の Testamentの Goin' To Chicagoの 3曲を忘れてはいけまへん。
1935年 3月20日、Alabama州 Birminghamで生まれた Sam Layがドラムを始めたのは 14才の時で、Clevelandで、最初のバンド the Moon Dog Comboに入ったのは1956年のことでした。
さらに1957年には the Original Thunderbirdsのドラマーになり1959年までは在籍しています。
しかし彼のインタビューによると、1960年の 2月にはそこから Chicagoに移った、としているのですが、この前後のコトに関しては彼の記憶がコンランしているのか、あるいは、こちらの英文の解釈にモンダイがあるのか、Birminghamを出たのは1964年だ、という発言もあり、実際のところはちょと「?」です。
また彼は1955年の Emmet Till殺人事件(南部の田舎に比べれば「自由な」シカゴで暮らしていた14才の Emmet少年が Mississippiでキャンディーを買ったお店で商店主の妻に気安く声をかけたのが原因でリンチ殺人された事件。陪審は「無罪」の表決をしている)のコトも語っているのですが、Sam Layの祖父はヨハネスブルグから来た白人だし、祖母はチェロキーで、完全な混血だったため、かなりフクザツな思いを持ったようです。また、そのような血筋であるがゆえに、白人のアーティストとも抵抗なく共演することが出来たのかもしれません。

シカゴでは、Little Walterが彼のドラミングを一回聴いただけで、それまでのドラマーをクビにして彼を入れた、と(本人がそー言ってます)ゆうことらしいですが、他にもウルフのバックで1960年から1966年まで叩いてるし、そっからベースの Jerome Arnoldと一緒に抜けてバターフィールドのアルバムに顔を出し(ツアーにも参加してますが)、ディランの、物議を醸したらしい 1965 Newport Folk Festivalでもドラムを叩いてます。
ただ、バターフィールドに関しては、ハープを吹ける白人がいる、ってことで Smokey Smothersが連れてきたらしいのですが、一緒にやってみようか、と言ってた日に、なんとあの John Fitzgerald Kennedyがダラスで暗殺されたのです。
バターフィールドはノコノコやって来たらしいのですが、Sam Layは「そんな気分じゃない」と帰ってしまったと・・・やはりこのへんも白人とカラードの「差」なんでしょうか。

Sam LayはマディのFather's & Sons アルバムへの参加や、前述の Magic Sam at Ann Arborでのドラムでも知られていますが、同時に James Cottonの(初代正式メンバー?の)ドラムでもあったようです。
そして自分のブルース・バンドを結成し(初期には the Blues Revivalと、後には Sam Lay Blues Bandと呼称。Jimmy Rogers、Eddie Taylorもいたことがあるらしい。彼の言によれば、Otis Spann、James Cotton、Sunnyland Slimもいたそうです) Appaloosa Recordsや Evidence Recordsに吹き込み、また Telarc Blues labelでは Rush Hour Bluesが吹き込まれました。

1980年代末には the Blues Hall of Fame in Memphisに the Jazz Hall of Fame in Los Angeles、さらには Rock n' Roll Hall of Fame in Clevelandにまで殿堂入りし、1992年には the Blues Hall of Fameにも名を連ねています。
ドラムそのものをとれば、Freddie Belowほどの大向こうウケするワザは無さそうですが、その存在が持つ包容力みたいなモノ、張りつめそうになるテンションを緩めてくれる潤滑剤的なスタンスが数多いセッションに彼の「場」を作った要因だったんじゃないか?なんて言うと、会ったコトも無いのにムセキニン過ぎるかもね。

彼には 3人の息子と、娘がひとりいて、長男はハリウッドで映画関係の仕事についているようです。
ところで、そのインタビューの中で最高のケッサクはディランと共演した時のエピソードでしょう。
─ 記者が「スーパー・スターと共演するのはどんなキモチですか?」って訊くから、「その質問はディランに訊くべきだろ」って言ってやったよ、はっはっは!だそうです。

ところで、そのインタビューの中で、なんと彼が Kodakの古いムーヴィ・カメラ(たぶん Regular 8と呼ばれる古いタイプの 8mmだと思われます)で撮影した、およそ 20時間分の Little Walterや Jimmy Reedの映像を「持っている」ことを語っているのですが、ナショナル・アーカイヴなんぞにゃ寄付せず、(今までさんざんサクシュされてきたんだからな)いいカネになるぞ!とウソぶいてます。あ、もち「音はナシ」ね。映像だけ。どうかウ〜ンと高く売れて、安楽な老後を送れますように。

さて、2022 年 1 月29日、topinfoguide.com によれば自宅で「安らかに」息を引き取ったそうでございます。


reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-11-15 00:19

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