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Wesley Curley Clark
1939年11月16日、Texas州 Austinで、典型的なミュージシャン一家の一員として生まれた Wesley Curley Clarkは、ギターを弾く父、そして歌を唄う祖母、母、姉妹たちによって当然のように聖歌隊に加えられ、そこでの音楽的素養が大きく彼の方向を決めたのではないでしょうか。
そこで彼はギターを弾くことを覚え、16才ですでに the Victory Grill(たぶんグリル、とあるので食事も出来る店だと思う・・・)で最初のギグを経験しています。
ただ、そこで T. D. Bellのバンド the Cadillacsと知りあった彼はベースに転向して、そのバンドに加わりました。
1960年代に入ると今度は Blues Boy Hubbardの the Jetsに入って Austinの Charlie's Playhouseなどで演奏しています。そこで、欠員だったギタリストを探していた Joe Texの目に止まり、ツアーに連れ出されました。

やがて Austinに帰ってきて(その以前から作っていたけど休眠してた)自身のバンド、Southern Feeling(そこには Angela Strehliと Denny Freemanも)で Austinから西海岸一帯までをツアーしたりもしたのですが、やがてバンドのメンバーの方向性が微妙にズレて来はじめ、ついには解散してしまいます。
そこで彼が作ったのが、今も続いている the Blues Revueでした。このあたりで彼は、Austinのミュージック・シーンがちょっとばかり様変わりして来ていて、ブルース・クラブに白人のガキ・・・うっぷす、若者が出入りしてブルースをやりたがっているのに気付きます。

その一例がスティーヴィ・レイ・ヴォーンで、インタビューによれば彼のところに押しかけてきて、熱心に誘われたことによって、結婚したばかりで金が必要だったこともあり(?)一緒にやることを承知しました。このときのメンバーは S.R.V.、Mike Kindred、Freddy Walden、Lou Ann Barton(ただし、これが the Blues Revueのメンバーだったのかどうかは確認しておりません)で the Triple Threatと命名されました。
そしてそのバンドで彼の初吹き込みが行われたらしいのですが、そのマスターの行方は彼にも判らないようです。本人の記憶ではたぶん 1982年じゃなかったかと・・・
S.R.V.と別れた後の 1986年(あるいは 1987年)に吹き込んだアルバムが Something for Everybodyで、以後 1990年代の前半までに、Anton'sでの定期的なギグや、全国的スター( B.B.やら J.B.そして Albert Kingなど)のオープニング・アクトを務めるようになって行きました。

その彼が全国に知られるキッカケとなったのが、あの PBS-TVによるAustin City Limits において、1989年に彼の 50才の誕生日を祝うために S.R.V.、Jimmy Vaughn、Kim Wilson、Lou Ann Barton、Angela Strehli、Will Sextonが一堂に会し、地元の熱狂的なオーディエンスに迎えられたシーンだったのです。
やがて彼は Mark Kazanoffによって Black Top Recordsに紹介され、1994年、 Heart of Gold、1996年には Texas Soul、1998年には Lovers Plea'をリリース。あ、その前に 1997年には New Orleans Jazz & Heritage Festivalにも出てますね。

2002年には Alligatorから From Austin with Soulをリリース、そして 2004年、Deep in the Heartをリリースしています。



reserched by Othum: Blues After Dark


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by blues-data | 2005-12-20 12:13

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