Albert Collins は1932 年10月1日(alt.3日)、Texas 州の Leona で小作人の家庭に生まれました(一部の資料では Houston で生まれた、としているものもあります。したがって、後に彼は Houston に「戻った」と・・・)。父の名は Andy Thomas である、としている資料もあります。一説では、Lightnin' Hopkins のいとこだ、と(ま、親戚くらいのとこじゃないかと思うのですが)。
その後、一家は 1941 年に Houston に移ったらしいのですが、その前、1939 年に Marquez という小さな街( Leona から HYWY 45 を 10km ほど北上した Centerville から、こんどは西に州道 7号線を約 30km ほど行ったところにある Missouri Pacific Railroad が通っている街。Houston から北北西に 200km ほど。Leona のほうが Houston には近い。ある資料では Marquez の人口を、1925 年には 700人に達したが、1950 年にかけて減り続け、381人になってしまった、としております)に移っている、とした資料もあるのですが、確認できておりません。 1941年( alt.1939 )には Houston の黒人ゲットーに移り、学校で習ったこともあってピアノとオルガンを弾くようになったらしいのですが、18才の時にそのピアノが盗まれてしまい、以来ギターに専念したもののようです。それでも、その時代の名残か、オルガン奏者の Jimmy McGriff* を Favorite Artist として挙げており、自分の演奏でもオルガンをバックに入れることを好んでますねえ。 この時代、彼は "In Texas, I was raised up around those kind of sax players like Illinois Jacquet. Down there there's blues and jazz and R&B. I had a choice to make when I started out, so I decided to play blues."(テキサス時代、俺は Illinois Jacquet のようなサックス・プレイヤーに囲まれて育ってるけど、ジャズ、ブルース、R&B のどれかを選ぶってときに、ブルースをとったのさ)だそうでございます。 *James Herrell。1936.4.3, Pennsylvania 州 Philadelphia 生まれ。 piano、bass、vibes、drums に Saxophone まで演奏する。彼自身は "I'm a blues organ player. That's really what I feel. They're always classifying me as a jazz organist, but I think of myself primarily as a blues organist."と答えています。2年間の朝鮮戦争での憲兵時代の後、まずベーシストとして Big Maybelle のバックを務めたりもしていますが、ここで警察機構を離れ、Philadelphia の Combe College、そして New York の Juilliard School of Music でオルガンを学び始めます。さらに有名な Jimmy Smith や Richard "Groove" Holmes、Milt Buckner、そして Sonny Gatewood などにも私淑して、1962 年には「 I Got A Woman (Sue Records)」でオルガン・デビューし、以後「ソウル・ジャズ・オルガンのプリンス」てな扱いを受けることになります(で、キングは、モチロン Jimmy Smith ねん)。他にも"All About My Girl"などのヒットあり。 その彼のギターのスタイルはいとこの Willow Young によるところが大きいようで、マイナーのオープンチューニングもそこかららしいです(ただし、その際、Dm オープンであるとか、Em オープンだ、とか、Fm オープンで、F-C-F-G#-C-F である、とか諸説あって困っちゃうんですが、最近は Fm にまとまって来てるのかな?)。ただカポタストは Gatemouth のを見てから、だそうです(彼と Gatemouth はカポタストを「Choker 」と呼んでいます)。 15才のときに地元のブルース・クラブで Clarence Gatemouth Brown と共演したそうですが、1952 年には自分のバンド the Rhythm Rockers( alt.1949-1951 )を結成。また Piney Brown* のバンドにも 3 年間加わっています。21才になるころにはもうセッションマンとして成功していたようで、Little Richard や Big Mama Thornton のバッキングもやっています。 *1950年 Apollo から「 How About Rockin' With Me 」、また1952年には Atlas から「 You Made Me This Way (Atlas 1023)」を、Charlie Singleton Records からは「 Good Aire / My Song 」を出して、サックスによるインストルメンタルとして同レコードの方向を決めるよなヒットとなっている。 1958 年には自己名義の最初の作品『The Freeze』を Houston の Kangaroo と Hall-Way Label からリリースし、ここでAlbert Collins のキャラ(?)が固定した、と考えてもいいでしょう。彼の Fender TELECASTER(フロントにはハムバッキング、律儀にブリッジ・カヴァーはかぶせたまま。あちこちには反射シール!)、バタースカッチ・ブロンドにメイプル・ネックは(彼自身によれば) Fender QUAD Reverb につながれ、TREBLE & MID がフル 10!BASS はゼロ!Reverb は 4、というセッティングが、「Icy」サウンドの証!(別名「Cool Sound」) 個人的な好みで言えば、1968 年に Canned Heat の Bob Hite によって「連れ込まれ」た Imperial での録音や、Eagles のプロデューサーとして知られる Bill Szymcyzk の Tumbleweed label での録音(やはり Joe Walsh もプロデュースで一枚噛んでいるのねん)より、その後の一連の Alligator でのアルバム(『Ice Pickin'』 1978、『Frostbite』 1980、『Frozen Alive』 1981)のほーが必需品だなあ。この Alligator での吹き込みでは、妻の Gwen Collins や友人からのススメで、マジでヴォーカルにも取り組み、「歌も」良くなった、なんて言われてますが、ワタシはもともと彼のヴォーカルがダメだ、なんて思ったことがないので(だってワタシより、ちゃんとブルース歌ってますからねえ)歌がウマくなった、なんてことより、そのサウンドのクォリティが「いい」のでございます。 Austin City Limits の 2 年後、1993 年11月24日、Nevada 州の Las Vegas で死亡してしまいました。 Blues After Dark はその広告に一切、関知いたしません
by blues-data
| 2005-09-02 16:32
|